広告運用チームのリーダーを正式に交代したので、ぷち振り返り
広告運用専属チームの立ち上げに伴い、部隊のトップ(以下、リーダー)になったのが2012年4月。それまでは、他のメンバーが他業務を兼任しながらリスティング広告に携わっていたけども、少しずつ集約することを前提に作られたチームでした。
今では、15名の頼もしいメンバーがリスティング業務を一挙に引き受けてくれています。
15名の組織と一緒に成長しただけのてての話ですが、
他にも同じような道を辿るかもしれない人の参考になればと思い、感覚が残っているうちにと思っての記事です。
<目次>
がむしゃらに何かを築く
リーダーになった際、自分の中に明確な"勝ちパターン" もしくは "運用はこうあるべき"はまだなかった。
他の業務を兼任しているメンバーから運用業務を奪い取ることを最優先に、自分の中での運用に対する自信を作り上げるために実験・検証・実証を繰り返しました。
正直・・・
不安は強いし、自分の不甲斐なさ・情けなさにはイライラするしで、ストレス性腹痛に襲われました。痛い痛い。
勝手に動いて周りを巻き込みながら"運用はこうあるべき"を確立できたのは、立ち上げから半年(リスティング専任担当として入社して2年以上)たった秋ごろ。長かったけど、今でもそれが通用しているのは自分に投資した時間としては間違ってなかったと思うし、そのおかげで自信を持てたのは言うまでもないです。
求めたのは、相対評価と議論し得る業界仲間
ブログを書き始めたのは2013年2月。
SEM-LABO(阿部さん)、SEM-Cafe(小西さん)をベンチマークに、
自分がどの程度なのか?
井の中の蛙じゃないのか?と思って始めた。
自分を試したかったし、相対的評価を自分で確認したかった。
その根本には、(業界からドロップアウトしてとこともあって)「同じ世代に追いつかないといけない!」という焦りがあるようには思う。
自分が動き出した時期はタイミングが良く、AdWordsカンファレンスやYahoo!カンファレンスが開催されていただけでなく、サーチサミットやアドテック東京への参加と東京に行く機会が比較的多かったので、東京にいるプレイヤーと話したり飲む機会を作れた。
LPiQの立ち上げやセミナーを初めて外部開催したのも2013年で、実は転機の一つだった。
疎かになったのは、マネジメント
外部への露出が増えると、相対的に減るのは社内での作業・マネジメント時間。
当然の話。
ただ、当時は今よりもひどくてマネジメント?なにそれ美味しいの?レベル。
リスティング業務において、成長過程で標榜となる"身近の先輩(背中を見せてくれる先輩)"がおらず闇雲に進む選択肢しかなかった。背中を見せる先輩となれば付いてきてくれるだろう!となんだかんだ思っていた。
そんな簡単なはずもなくマネジメントミスで、3人離脱した。
激しく悔いた。
でも、当時の自分では何が原因かわからなかった。
マネジメント系の本を読み漁った。
同じ道を辿っているだろう、先輩方に相談しまくった。
最終的にうち2人は戻ってきてくれたけども・・・
言っちゃ悪いけどこれがきっかけで、
管理職としての責務を意識することができたのは感謝としか言いようがない。
おかげで、
マネジメントに向き不向きは多いにあるし、
自分が身を賭して変わる覚悟がないと変われないとも自覚できた。
運が良かった今までとこれからと
振り返ったのは、
他にも同じような道を辿る人がいるとは思ったから+備忘録。参考になれば。
ただ、自分は運がいい方と思う。
- 精神的にきついときは、必ず相談できる同僚や仲間がいた
- 自由かつ我儘を許容してくれた役員とメンバーがいる会社に所属できていること
- 新しい情報を共有してくれたり、議論できたりする社外の仲間がいる
- 第三者目線で諭してくれる先輩がいる
- 自分よりマネジメントを得意とする後輩がいる
- 自分がいなくても自走してくれる後輩がいる
たかだか、一人の社畜でしかないのに。
(社畜という表現を嫌う人もいるけど、個人的には好きな表現。すべてを食らってやるつもりな獰猛系スーパー社畜です。)
自分が築かせてもらったこの部隊は子供のようなもので、
間接的には関わるものの、
自分がいなくても回ることが嬉しい反面、寂しくもあり、
これからのメンバーの成長が楽しみでもあります。
これからは
リスティング広告を間接的に携わりながら、
神系社畜なるべく、
外部オーディエンスデータや顧客分析などをして広告のあるべき手法と顧客へのアプローチを研究していきます。
ブログ内容も少し変わる、かもしれないです。